京都古寺【三十三間堂】
三十三間堂についてAbout Sanjusangendo
三十三間堂はたくさんの国宝仏を一度にまとめて見られる貴重なお寺です。
まずは三十三間堂の歴史について簡単に見ていきますね
天台宗。正式名は「蓮華王院(れんげおういん)本堂」。
長寛2年(1165年)、後白河上皇は離宮としていた法住寺殿に大観音堂「蓮華王院(通称「三十三間堂」)」の建立を発願し、平清盛の支援を受けて建立しました。この後、蓮華王院に諸堂が建てられたため、元の大観音堂は「蓮華王院本堂」と呼ばれるようになりました。
建長元年(1249年)に焼失してしまいますが、文永3年(1266年)に後鳥羽上皇により復興されます(その時に復興されたものが現在のお堂)。この頃から同じ天台宗の寺院で、後白河法皇も門主(住職)をしていた妙法院の管理下に置かれます(現在も妙法院の境外仏堂になっています)。
明治期の上地(政府に土地を上納)により妙法院と合わせて寺領が1/10ほどになってしまい、現在に至っています。
三十三間堂の見どころHighlight
名は体を表す
本堂「三十三間堂」
三十三間堂といったら、やはり長~~~いのが特徴ですね。
実に約120m!5往復すれば1kmを超えてしまいます笑
運動不足さんには持ってこい!
正式名称は蓮華王院本堂ですが、通称の「三十三間堂」で呼ばれることがほとんどです。
三十三間堂という名前の由来は、そのまま「33の間(けん)」があるためです。
「間(けん)」というのは柱と柱の間(柱間)のことを言います。
じゃあ本当に33の間があるのか数えてみると、なんと35ありました…
「いやこれ、三十五間堂やん!?」と思いましたが、あくまで「三十三間」は仏像が収められている範囲のみを指し、両端の1間は通路になっているのでカウントしないそうです。
ですので、「三十三間堂」で間違いないようです。
それにしてもなんでこんなに長~~~いお堂を後白河天皇(上皇)が建てようと思ったのか…?
実は、後白河天皇の父・鳥羽天皇も「得長寿院 (現在は廃寺)」という33間あるお堂を建立されていたそうです。
※つまり、得長寿院が元祖「三十三間堂」
ですので、後白河天皇はかなり父親を意識していて、自分が建てるものも三十三間堂にしたかったのではなかったかと思います。
平安のEXILE TRIBE?
「千手観音」
三十三間堂と言えば長さもさることながら、お堂内の千手観音様の多さも見どころですね。
なんと全部で1001体もあります。しかもすべて国宝!
また、その1001体に加え、中央には坐像の千手観音様がいらっしゃいます。高さが約3.5mと大きいので、存在感がありますよ。
残念ながら堂内は撮影禁止ですので、イメージ図でご容赦ください
千手観音様がずらっと、そして整然と並ぶ様は壮観で、EXILE TRIBE全員集合って感じです笑
なんか千手観音様たちがChoo Choo TRAINのグルグルに見えてきた…
(元祖はZooやけど笑)
よぉ~く見ると、1001体それぞれ微妙に違うお顔をされているので、ぜひ隣同士比較しながら見てみてください。
がっつり詳しく見たい!という方は1001体の裏手に検索端末があるので、そちらで1体1体細かく見ることができますよ!
また、売店で売られている『無畏』という書籍でも1体ごとに顔写真が載っています。
『無畏』はまるで、仏像様の卒業アルバムみたいです笑
それにしても、なぜこんな1001体もの千手観音を後白河天皇は造ろうと思ったのか?
どうやら当時は、過去・現在・未来に1000人の仏様が表れるという「千仏思想」というのが流行っていたそうで、そこから1000体になっているのだと思います。
ですので、三十三間堂以外にもあちこちで千体仏が造られたそうです。
ちなみに、鳥羽天皇が建立した得長寿院には1001体の聖観音像が安置されていたそうです
千手観音だけじゃない!
三十三間堂の仏像
三十三間堂に来ればどうしても千手観音様に目が行ってしまいますが、個人的には千手観音様の前に並んでいる「二十八部衆像」や「風神・雷神像」もおすすめです。
こちらもすべて国宝です
「二十八部衆像」はその名の通り28体の仏像で構成されています。
個人的におすすめなのが「阿修羅(あしゅら)」と「迦楼羅(かるら)」。
阿修羅像といったら興福寺の国宝館が有名ですが、興福寺は美男子な一方、三十三間堂の阿修羅像は強面でイカツめです笑
また、迦楼羅像はカラスっぽいお顔立ちが特徴で、こちらは興福寺も三十三間堂も雰囲気が似ています。
ぜひ三十三間堂のものと興福寺のもので比較して見てみるのもおすすめです。
その他、琵琶を持った「摩喉羅(まごら)」もいい感じです。見た目や表情から往年のロックスターっていう感じです笑
後はオジサンとオバサン(?)もいらっしゃるので、そちらもぜひ!
三十三間堂は仏像好きさんにおすすめです!
ぐるっと三十三間堂Around Sanjusangendo
三十三間堂で気になったものをいくつか取り上げておきます。
境内をゆっくり一回りした場合の所要時間は30分くらいです
夜泣泉(よなきせん)
本堂の隣(東側)にあります。泉の涌き出る音がすすり泣く音に似ていることからこのように名づけられたそうです。子供の夜泣きが治るというご利益があるそうです。
法然塔
夜泣泉の東側にあります。後白河法皇の十三回忌にあたって、法然上人がこちらで「六時礼賛」という法要を行った記念に建てられたものです。「南無阿弥陀仏」と彫られています。
久勢稲荷大明神
本堂の南西(拝観受付から一番遠いところ)にあります。蓮華王院の鎮守社になっています。由緒やご利益など特に詳しいことはわかりません。
太閤塀
本堂の南側にある塀は太閤塀(たいこうべい)と呼ばれています。その名の通り豊臣秀吉が築造したもので、この塀までを方広寺の境内とし、三十三間堂は方広寺の境内に取り込まれました。
南大門
本堂の南東(境外)にあります。豊臣秀吉が方広寺建立にあたり、その南大門として建立しました。東大寺の転害門(てがいもん)を模して造られたと言われています。
御朱印
三十三間堂の御朱印は本堂内で書いていただけます。「大悲殿」と書いていただきました。三十三間堂は洛陽三十三所観音霊場17番札所にもなっています。
アクセスと拝観情報Access & Information
三十三間堂へは最寄駅から徒歩で行くか、最寄りのバス停(「博物館三十三間堂前」か「東山七条」)から徒歩で行く方法があります。
最寄り駅から徒歩で行く場合
三十三間堂の最寄り駅は、京阪本線「七条」駅です。
七条駅の2番出口から七条通を東の方向へ進んでいくと「大和大路七条」という交差点がありますので、そこに三十三間堂の境内へ入れる門があります。
その門からしばらく歩くと拝観受付に来ます。
七条駅から拝観受付まで徒歩約7分です。
「博物館三十三間堂前」から行く場合
停車するバスの系統は「86」「106」「206」「208」「88(土日祝のみ)」です
バス停の南側に三十三間堂がありますので、すぐにわかると思います。
主要バス停(駅)からの乗車時間は下記の通りです。
- 「京都駅前 (各線「京都」駅)」から
⇒86 / 88 / 206 / 208 /系統:乗車時間約9分 - 「東山三条 (地下鉄東西線「東山」駅)」から
⇒88 / 206系統:乗車時間約15分 - 「九条近鉄前 (近鉄「東寺」駅)」から
⇒208系統:乗車時間約17分 - 「北大路バスターミナル (地下鉄烏丸線「北大路」駅)」から
⇒206系統:乗車時間約43分
乗車時間は目安です。交通状況等により大幅に変わることがありますのでご了承ください。
「東山七条」から行く場合
停車するバスの系統は「86」「88」「106」「202」「206」「207」「58 (土日祝のみ)」です。
バス停の近くに「東山七条」の交差点がありますので、そこを西へ進んでいくと、三十三間堂の入口があります。
バス停から入口まで徒歩約4分です。
主要バス停(駅)からの乗車時間は下記の通りです。
- 「京都駅前 (各線「京都」駅)」から
⇒86 / 88 / 106 / 206系統:乗車時間約11分 - 「四条京阪前 (京阪「祇園四条」駅)」から
⇒58 / 207系統:乗車時間約13分 - 「四条河原町 (阪急「河原町」駅)」から
⇒58 / 207系統:乗車時間約15分 - 「九条近鉄前 (近鉄「東寺」駅)」から
⇒202 / 207系統:乗車時間約18分 - 「四条烏丸 (地下鉄烏丸線「四条」駅)」から
⇒58 / 207系統:乗車時間約21分 - 「四条大宮 (阪急「大宮」駅 / 京福「四条大宮」駅)」から
⇒207系統:乗車時間約27分
乗車時間は目安です。交通状況等により大幅に変わることがありますのでご了承ください。
拝観時間 | 8:30~17:00(4/1~11/15) 9:00~16:00(11/16~3/31) ※受付は閉門30分前まで |
拝観料 | 大人:600円 高校生・中学生:400円 小学生:300円 ※団体割引あり (25名以上) |
所在地 | 京都市東山区三十三間堂廻町657 |
TEL | 075-561-0467 |
ホームページ | https://www.sanjusangendo.jp/ |
その他 | 境内に駐車場有 |
ちょっとそこまでNeighborhood
三十三間堂の周辺にある観光スポットやおすすめのスポットをご紹介します。
お時間があればぜひ一緒に行ってみてください
法住寺
三十三間堂の東側にあり、徒歩2分ほどで行けます。平安時代中期に藤原為光により創建されたお寺で、後にこのお寺を中心として後白河法皇の御所が建てられました。御本尊は、開運・厄除けのご利益があるとされる「身代わり不動」です。
後白河天皇法住寺陵
法住寺の裏(東側)にあり、法住寺の隣にある細い路地を進んでいくと見えます。第77代・後白河天皇を葬る御陵です。元は法住寺が管理していましたが、神仏分離令により宮内省(当時)が管理することになり、現在に至っています。
養源院
法住寺の隣にあります。文禄3年(1594年)に淀殿が父・浅井長政追善のため創建したお寺です。伏見城落城時に、自刃した武将たちの血が付いた「血天井」があることでも有名です。ただし、拝観可能日は限定されています。
妙法院
東山七条の交差点の東側にあります。青蓮院、三千院と共に「天台宗三門跡」の1つになっており、三十三間堂を管理しています。建物内部は通常拝観不可ですが、境内は自由に入ることができます。
京都国立博物館
三十三間堂の北側にあり、徒歩1分ほどで行けます。1897年(明治30年)に帝国京都博物館として開館した歴史ある国立博物館で、レンガ造りの洋風な姿が印象的です。京都のお寺に関するものも多く寄託されています。
智積院
三十三間堂の東側(妙法院の南側)にあり、徒歩5分ほどで行けます。利休好みの庭として知られる名勝庭園のほか、宝物館では長谷川等伯一門が描いた国宝の障壁画が見られます。
⇒智積院についてはこちらをご覧ください
三十三間堂周辺地図
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三十三間堂を管理する妙法院は「天台宗五ケ室門跡」の一つで、三千院も同様です。わらべ地蔵や紅葉でお馴染みのお寺です。
曼殊院も「天台宗五ケ室門跡」の一つになっています。「小さな桂離宮」と言われ、紅葉の名所にもなっています。