京都古寺【大徳寺】
大徳寺の歴史
About History
大徳寺は臨済宗大徳寺派の大本山で、正式名称を「龍寶山(りゅうほうざん) 大德禪寺(だいとくぜんじ)」といいます。
大徳寺はどんな歴史を経たのか、簡単に見ていきましょう!
正和4年(1315年)、宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)が叔父の赤松則村(円心)の援助により紫野の地に建てた小庵「大徳」が始まり。嘉暦元年(1326年)の法堂落成をもって「大徳寺」となりました。
花園上皇(北朝系統)や後醍醐天皇(南朝系統)からの支持もあり寺領が拡大し、一時は京都五山の筆頭にまでなりました。しかし室町時代に入ると、後醍醐天皇と深い関係にあったことが災いとなり、幕府から疎んじられ次第に衰退していきました。
その後、応仁の乱では兵火により伽藍が焼失してしまいますが、一休宗純により再興。さらに、戦国大名からの支持もあり塔頭が増え、最盛期を迎えました。
しかし、明治期になると廃仏毀釈の流れや上地(政府に土地を上納)により寺領の縮小や塔頭の廃寺や合併が進み、現在に至っています。
大徳寺の見どころ
Highlights
大徳寺にはいくつか見どころがありますが、ここでは次の3つに厳選してご紹介いたします。
では、それぞれ詳しく見ていきますね!
秀吉を激怒させた!
三門「金毛閣」
大徳寺といったら、鮮やかな朱色が目印の三門「金毛閣(きんもうかく)」。
現在の三門は享禄2年(1529年)に建立されたもので、東福寺の三門に次ぐ2番目に古いものだというから貴重です。
そして建立から60年後の天正17年(1589年)には、千利休の資金援助により2階部分が付け足され、現在の形となりました。
「金毛閣」と名付けられたのもこの時期だそうです
金毛閣といえば、やはり「豊臣秀吉激怒事件」。
ご存じの方も多いかもしれませんが、事件の内容を少しご紹介させていただきます。
大徳寺の住職であった古渓宗陳(こうけいそうちん)が、三門を修復してくれた千利休への感謝の意として、2階部分に雪駄履きの千利休の木像を安置しました。
しかし、「三門をくぐる時に、お前(千利休像)の股の下もくぐらなあかんやんけ!」と豊臣秀吉の怒りを買い、これが原因で千利休は切腹を命じられたとか。
ただ、木像安置と千利休の切腹まで約2年の差があるので、実際のところこれが発端だったかどうかははっきりとはしていません…
そういう事件を再び起こさないようにか、現在は門は固く閉ざされ、近づけないようになっています。
※特別拝観時にたまに開くようですが
ちなみに、今現在も金毛閣の2階部分には千利休像があるそうですが、当時のものとは違うそうです
秀吉も認めた!
『織田信長坐像』
大徳寺は観光寺院とは一線を画していて、本坊が拝見できる機会はほとんどありません。
そのため、大徳寺に来たらどうしても塔頭巡りがメインとなります。
※ただ、ほとんどの塔頭は拝見できません
拝観できる塔頭の中で、個人的におすすめなのが「総見院」。
総見院は期間限定の特別拝観時しか入れませんのでご注意ください
大徳寺といえば織田信長の葬儀が執り行われたことでも有名ですが、その後、秀吉により信長の菩提を弔うところとして総見院が建立されました。
信長の遺骸は本能寺でも見つからなかったため、秀吉は木像の信長像を二体作らせ、そのうち一体を火葬し、残るもう一体が総見院に安置されました。
秀吉は信長像を見て、「うむ、よくできておる!」と納得していたそうなので、総見院で見られる信長像は実際の信長にかなり近いのではないかと言われています。
実際に見た感じでは、やや小柄な印象で(当時の人はだいたい同じような体形かもしれませんが)、「昔の怖いおっちゃん」って感じです…笑
残念ながら堂内は撮影禁止ですので、写真が載せられません
ぜひ現地で実際にご覧ください!
ちなみに、葬儀では織田信長像を輿に乗せて移動させていたそうで、その像を乗せていた輿が総見院に今も残されています。
ちなみに、総見院の境内には信長や長男・信忠らの供養塔があります。
少し離れたところには信長の正室・濃姫の供養塔と、側室・お鍋の方の供養塔もあります。
総見院は特別拝観時しか入れませんが、歴史好きにはたまらないところです笑
お庭好きさんも納得!
「興臨院」
総見院の他におすすめの塔頭が「興臨院」。
こちらも期間限定の特別拝観時しか入れません
私が行った時はちょうど紅葉の時期だったので、唐門までの通路が色鮮やかに紅葉していました。
唐門を進むと本堂があり、その前(南側)は方丈庭園になっています。
作庭にあたったのは「昭和の小堀遠州」といわれる作庭家・中根金作氏。
シンプルな枯山水庭園なので落ち着きます
花頭窓から見える方丈庭園もいい感じですよ笑
本堂の西側や北側もお庭になっています。
北側は温かみのあるモコモコの苔で覆われています笑
ちなみに、興臨院は元は能登国の守護大名・畠山義総(よしふさ)が大徳寺内に建立した塔頭で、後に前田利家により改修されました。
それが縁で以後は加賀百万石・前田家の菩提寺となっているそうです。
運よく拝観できる時期でしたら、絶対におすすめ!
ぐるっと大徳寺
Around Daitokuji
大徳寺の境内で、その他気になったものをいくつか取り上げておきます。
境内をゆっくり一回りした場合の所要時間は40分くらいです
勅使門
三門・金毛閣の南にあります。元は宮中にあった陽明門もしくは南門だったと言われ、寛永17年(1640年)に後水尾天皇より下賜されました。
仏殿
三門・金毛閣の北にあります。現在の仏殿は寛文5年(1665年)に再建されたものです。御本尊は徳川家綱が寄進した釈迦如来坐像で、かつてあった方広寺大仏の1/10のサイズと言われています。
法堂
仏殿の北にあります。現在の法堂は、寛永13年(1636年)に小田原藩主・稲葉正則が父・正勝の遺志により寄進したものです。天井には狩野探幽筆の『雲龍図』が描かれています。
平康頼之塔
勅使門のすぐ近く(西)にあります。平康頼(たいらのやすより)は、平家打倒を企てた「鹿ケ谷(ししがたに)の陰謀」に加わった一人で、陰謀発覚後に流罪となりました。
千躰地蔵塚
平康頼之塔の近くにあります。千躰(千体)と付いていますが、実際には700体くらいだそうです。大徳寺の周辺に点在していたものがここに集められたと考えられています。
宗務本庁
法堂の北にあります。大徳寺の寺務所です。こちらの中には方丈などがありますが、通常時は中に入ることはできません。過去には特別公開がされていたそうです。
ここからは大徳寺の塔頭です
(見どころで紹介した総見院と興臨院以外)
養徳院
南門のすぐ近くにあります。足利満詮(みつあきら:室町幕府2代将軍・足利義詮の四男)が夫人を弔うために建立した妙雲院が前身です。
徳禅寺
養徳院の北側にあります。徹翁義亨(てつとうぎこう)が船岡山に建立した寺院で、元は大徳寺から独立しており、一休宗純によりこちらに移されました。
黄梅院
徳禅寺の向かいにあります。織田信長が父・信秀の菩提を弔うため建立しました。特別拝観時のみ入ることができますが、内部の写真撮影は不可です。
龍源院
黄梅院の北側にあります。文亀2年(1502年)に畠山義元・大内義興・大友義親の三氏で創建されました。常時拝観されています。
瑞峰院
興臨院の南側にあります。キリシタン大名・大友宗麟(そうりん)が天文4年(1535年)に建立しました。庭園は重森三玲によるものです。
大慈院
瑞峰院の南側にあります。天正13年(1585年)に織田信長の姉・安養院らによって創建されました。期間限定で座禅体験ができます。
正受院(しょうじゅいん)
興臨院の北側にあります。天文年間(1532~1555年)に大徳寺93世清庵宗胃(せいあんそうい)を開祖として、関盛衡らによって創建されました。
三玄院
正受院の北側にあります。天正17年(1589年)に浅野幸長(よしなが)・石田三成・森忠政によって創建されました。石田三成らの墓があります。
芳春院
境内の一番北の突き当りにあります。前田利家夫人のお松さんこと、芳春院により慶長13年(1608年)に創建されました。特別拝観があります。
大仙院
芳春院の手前にあります。永正6年(1509年)に大徳寺76世・古岳宗亘(こがくそうこう)によって創建されました。常時拝観可能です。
真珠庵
大仙院の東側にあります。永享年間(1429~1441年)に一休宗純により創建されたものが始まり。期間限定の特別拝観があります。
龍泉庵(りょうせんあん)
芳春院の南側にあります。明応年間(1492~1501年)に創建され、明治期に廃絶しましたが、昭和になって佐々木ルース夫人によって再興されました。
如意庵
龍泉庵の南にあります。応安年間(1368〜1375年)に創建された大徳寺の最初の塔頭です。長らく途絶えていましたが、昭和46年(1973年)に再建されました。
聚光院(じゅこういん)
如意庵の南にあります。永禄9年(1566年)に河内の戦国大名・三好義継が父の三好長慶の菩提を弔うために建立しました。千利休のお墓があります。
龍翔寺
総見院の西(境内の北西)にあります。延慶2年(1309年)に他所で創建されました。明治維新で廃絶しましたが、大正14年(1925年)に再建されました。
高桐院
龍翔寺の南にあります。慶長6年(1601年)に細川忠興によって創建されました。細川忠興とガラシャ夫人の墓があります。
玉林院
高桐院の南にあります。慶長3年(1598年)、御殿医を務めた曲直瀬正琳(まなせ まさよし)が建立し、のちに片桐且元によって再建されました。
龍光院
玉林院の南にあります。慶長11年(1606年)に黒田長政が父・黒田孝高(如水)の菩提を弔うために建立されました。有栖川宮家の菩提寺にもなっています。
大光院
龍光院の南にあります。文禄元年(1592年)に、豊臣秀吉が弟・秀長の菩提を弔うために建立しました。元は大和郡山にありましたが、藤堂高虎により大徳寺内に移されました。
孤篷庵(こほうあん)
大徳寺の境内から西へ徒歩約4分のところにあります。慶長17年(1612年)に小堀遠州によって創建されました。数年に1回特別拝観がされます。
雲林院
境内の南東にあります。大徳寺の2つある門外塔頭(寺域外塔頭)のうちの1つ。天長6年(829年)に淳和天皇の離宮「紫野院」が始まりと言われています。
来光寺
龍翔寺の西にあります。大徳寺の2つある門外塔頭(寺域外塔頭)のうちの1つです。創建は不明で、清巌宗渭(せいがん そうい)により中興されました。
瑞雲軒
三玄院の西にあります。旧有栖川宮邸の二階書院部分を移築して創建されました。普段は大徳寺の研修道場になっているそうです。
アクセスと拝観情報
Access & Information
大徳寺へは最寄りのバス停 (「大徳寺前」)から徒歩で行くのがおすすめです。
バス停「大徳寺前」から徒歩で行く場合
「大徳寺前」に停車するバスの系統は「1」「12」「204」「205」「206」「北8」「M1」「102(土日祝のみ)」です。
バス停沿いの北大路通を西へ進んでいくと、境内の入口があります。入口を入ってそのまま進むと南門があります。
バス停から南門まで徒歩約2分です。
主要バス停(駅)からの乗車時間は下記の通りです。
- 「京都駅前 (各線「京都」駅)」から
⇒205 / 206系統:乗車時間約40~45分 - 「北大路バスターミナル (地下鉄烏丸線「北大路」駅)」から
⇒1 / 204 / 205 / 206 / 北8 / M1 / 102系統:乗車時間約5分 - 「西ノ京円町 (JR「円町」駅)」から
⇒204 / 205系統:乗車時間約15分 - 「出町柳駅前 (京阪本線・叡山電鉄「出町柳駅」駅)」から
⇒1系統:乗車時間約19分 - 「四条河原町 (阪急「河原町」駅)」から
⇒12 / 205系統:乗車時間約29~31分 - 「三条京阪前 (京阪「三条」駅)」から
⇒12系統:乗車時間約41分
乗車時間は目安です。交通状況等により大幅に変わることがありますのでご了承ください。
拝観時間 | 10:00~16:30 |
拝観料 | 【境内】 なし ※ただし、塔頭では拝観料が必要 |
所在地 | 京都府京都市北区紫野大徳寺町53 |
TEL | 075-491-0019 |
ホームページ | 【本坊】 なし 【大慈院(塔頭)】 https://daitokujidaijiin.com/ 【正受院(塔頭)】 https://shojuin-jumokusou.jp/ 【大仙院(塔頭)】 https://daisen-in.net/ |
その他 | 境内に有料駐車場有 |
ちょっとそこまで
Neighborhood
大徳寺の周辺にある観光スポットやおすすめのスポットをご紹介します。
お時間があればぜひ一緒に行ってみてください
今宮神社
大徳寺の仏殿あたりからだと、北西へ徒歩8分ほどで行けます。疫病を鎮める御霊会を行ったことが始まりの神社です。八百屋の娘から将軍の母にまでなった桂昌院が再興したことから「玉の輿神社」とも呼ばれているそうです。
建勲神社
大徳寺の南門あたりからだと、南西へ徒歩12分ほどで行けます。織田信長が主祭神で、大願成就や難局突破などのご利益があるとされます。正式には「たけいさお」神社と読みますが、一般には「けんくん」神社と呼ばれています。
大徳寺周辺地図
以上、大徳寺についてでした!
こちらのページが拝観のご参考になりましたら幸いです^^
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「妙心寺」という寺名は大徳寺開山の宗峰妙超により命名されました。日本最大の禅寺と言われ、境内には46の塔頭寺院がある大規模寺院です。