京都古寺【大覚寺】
大覚寺についてAbout Daikakuji
大覚寺は太秦から近いため、時代劇のロケ地としてもよく使われているお寺です。
まずは大覚寺の歴史について簡単に見ていきますね
読み方は「だいかくじ」。真言宗大覚寺派大本山。山号は「嵯峨山」。
平安時代初期の天皇・嵯峨天皇の離宮「嵯峨院」が始まり。離宮嵯峨院は嵯峨天皇の死後、貞観18年(876年)に娘である正子内親王によって寺に改められ、「大覚寺」となりました。
鎌倉時代には亀山上皇や子・後宇多上皇が大覚寺に住まわれたため、亀山上皇の皇統(血筋)は「大覚寺統」と呼ばれるようになりました。後にこの皇統が後醍醐天皇につながり、南北朝時代突入へのきっかけになります。
建武3年 / 延元元年(1336年)、応仁2年(1468年)、天文5年(1536年)に兵火に遭い、その度に伽藍が焼失してしまいました。しかし、天正17年(1589年)に門跡となった空性が再建にとりかかり、寛永年間(1624~44年)には、ほぼ現在の寺観が整えられました。
大覚寺の見どころ5選Highlights
大覚寺にはいくつか見どころがありますが、ここでは次の5つ+1を厳選してご紹介いたします。
それでは1つずつ詳しく見ていきますね!
四季折々の大パノラマ!・大沢池
大覚寺で一番の見どころといったらやはり「大沢池(おおさわのいけ)」でしょう。こちらの大沢池は、嵯峨天皇が弘仁5年(814年)ごろに唐の洞庭湖を模して築造したといわれていて、現存する庭池の中では日本最古だそうです。
1周はなんと約1km!大沢池周辺では春は梅や桜、初夏から夏は新緑や睡蓮、秋は紅葉、冬は雪景色と、季節ごとに風景が変わるのでいつの季節も楽しめます。また、お堂の他、竹林や梅林、歌碑があったりと、見るものが色々あるので、のんびりゆっくりした時間を過ごせますよ。
※ただし、庭園内での飲食やペットの散歩は不可
ちなみに、お堂エリアを除いた大沢池単体の拝観券もありますので、お散歩がてら来られてみてはいかがでしょうか?ただ、大沢池単体の場合は拝観入口が異なるので注意してください。
すべてが絵になる・回廊
大覚寺のお堂エリアを散策していると、思わず目を引くのが回廊(写真)。吹き抜きの解放感ある回廊で、周りはちょっとしたお庭のようになっています。回廊の柱を額縁に見立てると、左右に絵がずらっと並んでいるように見えてとても美しい…ついつい見とれてしまいました笑
ちなみに、宸殿と心経前殿を結ぶ回廊は「村雨(むらさめ)の廊下」と呼ばれています。縦の柱を雨、直角に折れ曲がっているところは稲光にたとえているんだとか。
また、防犯上の観点から刀や槍を振り上げられないように天井は低めになっていて、床は鴬張りになっています。歩くとキュッキュといい音を奏でてくれますよ!
目も耳も楽しませてくれる、そんな回廊です笑
耳をすませば・名古曽の滝跡
「京都~ 大原 三千院~♪」の歌い出しで知られる『女ひとり』という曲をご存じだと思います。しかし『女ひとり』の3番は大覚寺(「京都~ 嵐山 大覚寺~♪」)だということをご存じの方は少ないかもしれません。
※ちなみに2番は「京都~ 栂尾 高山寺~♪」
3番は、恋に疲れた女性がひとり大覚寺に来て、滝の音に耳をすませているという状況を歌っています。大覚寺の滝ってどこ?と色々散策してみると、おそらくここではないかというのが「名古曽(なこそ)の滝跡」。大沢池にあります。
しかしこの「名古曽の滝跡」、かつてはかなりの水量があったそうですが、平安中期にはすでに水は枯れていたそうでして、かれこれ1000年近く水は出ていません。もしよろしければ『女ひとり』のように耳をすませてみてはいかがでしょうか?
また逢う日まで…勅使門
心経前殿(御影堂)の前方に「勅使門」という門があり(写真)、こちらは「おなごりの門」という別名が付いています。なぜそういった名前が付いたのかちょっとご紹介します。
江戸後期、当時の門跡(住職)であった慈性(じしょう)法親王は勤皇討幕の疑いをかけられ、幕府から江戸にある輪王寺に移るよう命じられました。大覚寺を愛し、ここで一生を終えるつもりだった慈性法親王は江戸への出立の際、この勅使門から出て、何度も何度も振り返り、名残惜しそうに江戸に行かれたそうです。そういったことから「おなごり(お名残)の門」と呼ばれるようになったとか。
その後の慈性法親王ですが、約20年の後、大覚寺への帰山を許されました。しかし出発寸前にお亡くなり、とうとう帰山は叶いませんでした。輪王寺にあるお墓は大覚寺の方向を向いているとのことです。
60年に一度のこんにちは・勅封心経殿
大覚寺は写経の歴史が非常に長く、始まりはまだ離宮嵯峨院だった弘仁9年(818年)にまでさかのぼります。当時、各地で疫病が広まり、それに心を痛めていた嵯峨天皇は弘法大師・空海の勧めにより般若心経一巻を写経し、疫病平癒を祈願されると疫病が収まったそうです。
そういったことから、大覚寺は「心経写経の根本道場」と言われるようになり、現在でも盛んに写経法会が執り行われています(写経自体は五大堂でいつでもできます)。
歴代天皇も嵯峨天皇にならい写経をされ、勅封心経殿(写真)には嵯峨天皇をはじめ、後光厳(ごこうごん)・後花園・後奈良・正親町(おおぎまち)・光格の六天皇の直筆の般若心経が納められているそうです。しかし、こちらの勅封心経殿は60年に1度しか開扉されないとのこと。ちなみに、次回の公開は2078年だそうです…長生きしなきゃ笑
稀代のアーティスト「エンペラー・サガ」
大覚寺の基礎を創られたと言っても良い嵯峨天皇。書道の腕前がかなりすごかったということで、弘法大師・空海、橘逸勢(たちばなのはやなり)と並んで「三筆」と称されています。
嵯峨天皇は書道だけではありません。大沢池に自生していた菊を花瓶に挿し、「後世、花を生くるものは宜しく之を以て範とすべし(意訳:これからは花ってこうやって生けるんだぞ)」と言って、華道の普及を進めたとか。ちなみに、華道「嵯峨御流」は嵯峨天皇が開祖になっています。
嵯峨天皇は書道だけでなく、華道の才能もお持ちのまさに正真正銘のアーティスト。エンペラー・サガ、恐るべし…
大覚寺では毎年11月に「嵯峨菊展」が開催されています(写真)。嵯峨菊600鉢が並べられ、毎年多くの方が菊を見に来られるそうです。
ぐるっと大覚寺Around Daikakuji
大覚寺の境内で見どころ以外で気になったものをご紹介します。
境内をゆっくり一回りした場合の所要時間は40分くらいです
宸殿
売店を進んだ先にあります。徳川秀忠の娘である東福門院が住まわれた宸殿がこちらに移築したものだと伝わっています。
正寝殿
宸殿の裏側(北)にあります。大覚寺の客殿になっています。こちらの「御冠の間」で南北朝の講和が行われたと伝わっています。
霊明殿
正寝殿の北東にあります。東京にあった日仏寺の本堂だったものをこちらに移築したものです。阿弥陀如来が御本尊になっています。
心経前殿(御影堂)
宸殿から進むとあります。元は大正天皇の即位式に使用された饗応殿だったものです。北側にある勅封心経殿を拝むための建物なので心経前殿と言われています。
安井堂(御霊殿)
心経前殿を進むとあります。元は東山にあった安井門跡蓮華光院の御影堂だったものがこちらに移築されました。こちらでは後水尾天皇像を祀っています。
五大堂
安井堂を進むとあります。天明年間(1781年~1789年)に建立されました。大覚寺の本堂で、五大明王を祀っています。こちらで写経・写仏ができ、大沢池を望むことができます。
明智門
大覚寺表門の左にある門で、明智光秀の居城だった亀山城から移築されたものです。この奥には同じく亀山城から移築された明智陣屋という建物がありますが、中に入ることはできません。
御朱印
大覚寺の御朱印は本堂である五大堂で書いていただけます。オーソドックスな御朱印は御本尊の「五大明王」になります。その他、特別御朱印や切り絵御朱印もあります。
ここからは大沢池にあるものをご紹介します
五社明神
伊勢内宮・外宮、八幡宮、春日宮、住吉宮の神を祀っています。離宮嵯峨院の鎮守社で、弘法大師・空海がこちらに神様をお迎えしたとされます。
大日堂
洛東にあった岩倉山真性寺が廃寺となる際にこちらに移築されました。堂内には石造の大日如来坐像が祀られています。
聖天堂
堂内には歓喜天と十一面観音菩薩を祀っています。元々は大沢池にある望雲亭の西側に建っていたものをこちらに移築したそうです。
心経宝塔
嵯峨天皇心経写経1150年を記念して、昭和42年(1967年)に建立されました。宝塔内部には弘法大師像が祀られていますが、近づくことはできません。
護摩堂
不動明王を祀っています。毎月月末に約1時間半こちらで護摩が焚かれ、心願成就を祈願していただけます。ただし、祈願料が別途必要になります。
天神社
菅原道真を祀る神社です。菅原道真は大覚寺の俗別当(俗人の身分のまま寺院を統括する責任者)を務められたそうです。すぐ隣には御神木があります。
竹林
大沢池の北側には竹林が広がっています。この近くには梅林や、もみじロードもあります。
アクセスと拝観情報Access & Information
大覚寺へは最寄駅から徒歩で行くか、最寄りのバス停から徒歩で行く方法があります。
最寄り駅から徒歩で行く場合
大覚寺の最寄り駅は、JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」駅です。
嵯峨嵐山駅の北口からほぼまっすぐ北の方角へ歩いていくと、大覚寺の表門まで到着します。
嵯峨嵐山駅から表門まで徒歩約17分です。
最寄りのバス停から徒歩で行く場合
大覚寺の最寄りのバス停は「大覚寺」です。
停車する市バスの系統は「28」「91」、そして京都バス「94」です
バス停のすぐ前が境内になっていますので、すぐにわかると思います。
主要バス停(駅)からの乗車時間は下記の通りです。
- 「京都駅前 (各線「京都」駅)」から
⇒市バス28系統:乗車時間約54分 - 「嵐山天龍寺前 (嵐電「嵐山」駅)」から
⇒市バス28系統 / 京都バス94系統:乗車時間約9分 - 「阪急嵐山駅前 (阪急「嵐山」駅)」から
⇒市バス28系統 / 京都バス94系統:乗車時間約12分 - 「四条大宮 (阪急「大宮」駅 / 京福「四条大宮」駅)」から
⇒市バス28 / 91系統:乗車時間約41分 - 「四条烏丸 (地下鉄烏丸線「四条」駅)」から
⇒市バス91系統:乗車時間約47分
乗車時間は目安です。交通状況等により大幅に変わることがありますのでご了承ください。
拝観時間 | 【お堂・大沢池】 9:00〜17:00 ※受付は16時30分まで 【写経】 9:00〜15:30 |
拝観料 | 【お堂エリア】 大人:500円 小・中・高生:300円 【大沢池】 大人:300円 小・中・高生:100円 |
所在地 | 京都市右京区嵯峨大沢町4 |
TEL | 075-871-0071 |
ホームページ | https://www.daikakuji.or.jp/ |
その他 | 境内に有料駐車場有 |
ちょっとそこまでNeighborhood
大覚寺の周辺にある観光スポットやおすすめのスポットをご紹介します。
お時間があればぜひ一緒に行ってみてください
広沢池
大覚寺の東側にある、大沢池よりも大きい灌漑用のため池です。日本三沢の一つにも選ばれているようです。永祚元年(989年)に、寛朝(かんちょう)僧正が遍照寺を建立する際に庭池として造営したと伝えられています。
嵯峨山上陵
「さがのやまのえのみささぎ」と読みます。嵯峨天皇が眠る御陵です。大覚寺の北西にあり、その名の通り山の上にあります。階段が長く、登るのは大変ですが、山上からは大覚寺や、遠くは京都タワーも望めます。
清凉寺
大覚寺から南西へ徒歩約11分のところにあります。元は源融(みなもとのとおる)の山荘跡で、こちらの御本尊「釈迦如来像」があまりに信仰を集めたため、「嵯峨釈迦堂」とも呼ばれています。
⇒清凉寺についてはこちらをご覧ください
宝筐院(ほうきょういん)
大覚寺から南西へ徒歩約12分のところ(清涼寺仁王門の近く)にあります。室町幕府二代将軍・足利義詮(よしあきら)の菩提寺です。また、「小楠公」こと、楠木正行(まさつら)のお墓もあります。紅葉の名所でも知られています。
大覚寺周辺地図
以上、大覚寺についてでした!
こちらのページが拝観のご参考になりましたら幸いです^^
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元々官寺であった東寺は、嵯峨天皇により空海に下賜されました。京都のランドマークといえる五重塔や、立体曼荼羅が見られます。
現在の清凉寺は元は源融の山荘跡で、源融は嵯峨天皇の子です。期間限定ですが、「釈迦如来像」や「阿弥陀三尊像」が見られます。
こちらも源融の別荘が元になっています。10円玉でお馴染みの「鳳凰堂」や、名仏師・定朝の阿弥陀如来像が見られます。
大覚寺と同じ『女ひとり(1番)』で歌われたお寺です。阿弥陀三尊像やわらべ地蔵、苔庭や紅葉で有名です。
こちらも『女ひとり(2番)』で歌われました。日本で初めてお茶が本格的に栽培されたところで、鳥獣戯画や石水院でも有名です。