京都古寺【本能寺】
本能寺の歴史
About History
本能寺は法華宗本門流の大本山で、創建当初は「本應寺(本応寺)」という寺名でした。

本能寺はどんな歴史を経たのか、簡単に見ていきましょう!

応永22年(1415年)、妙本寺(現在の妙顕寺)の僧であった日隆(にちりゅう)聖人が、油小路高辻に創建した「本応寺」が始まり。永享5年(1433年)に六角大宮に移転した際、「本能寺」となりました。
※「本応寺/本能寺」の寺名は「本門八品相応能弘之寺」に由来
天文5年(1536年)の「天文法華の乱」の際、延暦寺の僧兵によって焼き討ちに遭い、一時は大阪の堺に移転しますが、油小路六角にて復興し、30余りの塔頭(子院)を抱える大伽藍となりました。
しかし、天正10年(1582年)の「本能寺の変」により焼失。その後、豊臣秀吉の命により現在地で再建されますが、江戸中期の「天明の大火」、江戸末期の「蛤御門の変」によって大きな被害を受けました。
明治期になると上知(政府に土地を上納)により寺領が半減し、現在に至っています。
本能寺の見どころ5選
Highlights
本能寺の見どころを次の5つに厳選してご紹介いたします。

それでは1つずつ詳しく見ていきますね!
信長も見た?本堂「日蓮聖人像」

お寺といったらやはり本堂(写真)!本能寺の総門からそのまままっすぐ進むとあります。すぐ隣には本能寺が運営する「ホテル本能寺」がそびえ、新旧が交錯する不思議な感じです笑
本堂内へは自由に入ることができ、堂内中央には「日蓮聖人像」が祀られています。こちらの日蓮聖人像は「本能寺の変」前からあったそうで、信長もこちらの像を見ていたかもしれません。
私が拝観した時(2月)は、日蓮聖人像の頭に白い座布団のようなものが被してありました。その特徴的なお姿に、思わず見入ってしまいました笑
調べてみると、日蓮聖人像の頭に被しているものは「綿帽子(わたぼうし)」というもので、日蓮宗では寒い季節に綿帽子を被すことがあるそうです。寒い季節にぜひお越しください!
ファンが絶えない・信長公御廟所

本堂の右側を進んでいくと「信長公御廟所(写真)」があり、こちらは信長の供養塔になります。信長の三男・信孝によって建立されたもので、石塔の下には信長が使用していた刀が納められているとのこと。
今なお歴史ファンのお参りが絶えないようで、私が行った時も平日にも関わらず多く方がいらっしゃいました。
ちなみに、こちらの左隣には信長とともに「本能寺の変」で討ち死にした家臣を合祀するお墓もあり、討ち死にした家臣の名前がずらっと書かれた案内板もあります。
「本能寺の変」というと、どうしても信長が亡くなったことばかりに注目してしまいますが、この案内板を見て、信長を守るために多くの家臣が戦ったんだなぁとしみじみ感じました。
超貴重!織田信長肖像画

本能寺に来たらぜひとも行っていただきたいのが「大寶殿」。本能寺の宝物館で、本能寺に伝わる寺宝や、信長ゆかりの品々をご覧いただけます(入館料必要)。
中でも注目したいのが「織田信長肖像画(写真)」。信長の肖像画といったら緑色の裃(かみしも)を着たものなどがありますが、こちらは信長のトレードマークと言える口ひげがない、かなり珍しい肖像画だそうです。
ところで、「何勝手に写真撮っとんねん!」と怒られそうですが、一般的な宝物館や博物館と違って、大寶殿ではなんと館内写真撮影可です!一部のみ不可のものがありますが、こちらは写真撮影可のものでした。
大寶殿ではその他信長の朱印状や、本能寺の変が起こる前夜に突然鳴き出し信長に異変を知らせたという「三足の蛙」などご覧いただけます。
「本能」、字が変?

境内の案内板などを見ていると気づいたこと…それは、「能」の字がなんか違う!? 一般的に「能」の漢字の右側は上下に「ヒ」になっていますが、案内板などに書かれている「能」の右側は「去」になっています(写真参照)。
「本能寺の変」ならぬ「本能、字が変」です笑
これには諸説ありますが、本能寺は「本能寺の変」以外にも度々火災の被害に遭っていて、「ヒ」と「火(ひ)」は同じ音から、火を避けるために「去」に変えたのだとか。
ちなみに、「本能寺の変」当時の本能寺があったとされる場所で行われた発掘調査では、能の右側が「去」になった丸瓦が発見されました。つまり、この頃にはすでに「䏻」の字の方が一般的だったようです。
本能寺に来たらこちらも…本能寺跡

「本能寺の変」当時の本能寺は、現在地から南西に徒歩25分ほどのところで、現在では写真のように『本能寺跡』の碑が建っています。折角なので、本能寺に来たら一緒に見ておきたいところですね!
ただ、この碑が建っているところは当時の本能寺の南端で、ドラマなどでお馴染みの、信長が槍を持って戦っているところはもっと北側だと考えられています。
「本能寺の変」の際、境内は焼失してしまったので、今となってはこの場所に当時を偲ばせるものはありません(信長の遺体さえも見つからなかったぐらい)。しかし何の因果か、この碑が建っているところには京都市消防局の本能分団の建物があります…
巡り巡って、ある意味最適な場所に建っているなと感じました。
ぐるっと本能寺
Around honnouji
本能寺はあまり大きなお寺ではありませんが、その他気になったものをご紹介します。

境内をゆっくり一回りした場合の所要時間は25分くらいです
総門(表門)

「寺町専門店会商店街」沿いにある、本能寺の表門です。国の登録有形文化財に指定されていて、すぐ近くには日蓮聖人像があります。
大寶殿

総門を入ると右側にあります。本能寺に伝わる寺宝や信長ゆかりのものが見られます。1階が拝観受付と売店になっていて、展示室は2階です。
浦上玉堂・春琴の墓

信長公御廟所の右側にあります。浦上玉堂(うらがみぎょくどう)は江戸時代後期の文人画家で、春琴は同じく文人画家で、玉堂の子です。
本能寺の変戦没者合祀墓

信長公御廟所の左側にあります。討ち死にした家臣の名前が書かれた案内板もあり、森蘭丸や毛利新介(桶狭間の戦いで今川義元の首を取った武将)などの名が見えます。
供養塔・石塔

本能寺の変戦没者合祀墓の左側にあります。3つの塔があり、手前が徳川家重夫人の供養塔、中央が菅中納言局庸子(五条庸子)の石塔、奥が島津義久夫人の石塔です。
日承王墓

本堂裏の奥にあります。伏見宮邦高親王の子・日承王(にちじょうおう)のお墓です。日承王は幼くして本能寺に入り、天文12年(1543年)の43歳の時に本能寺の寺主となったそうです。
火伏せのイチョウ

浦上玉堂・春琴の墓の近くにあります。「蛤御門の変」の火災時に、このイチョウの木から水が噴き出して消火したという逸話があるそうです。拝観の時期的(2月)に葉はなかったです…
御朱印

本能寺の御朱印は本堂前にある寺務所でいただけます。織田信長が描かれた書置きの特別御朱印のほか、直書きのものもあります。私は特別御朱印にしていただきました。
アクセスと拝観情報
Access & Information
本能寺へは最寄り駅から、あるいはバス停から徒歩で行くのがおすすめです。
最寄り駅から徒歩で行く場合
本能寺の最寄り駅は、地下鉄東西線「京都市役所前」駅です。
京都市役所前駅の1番出口を出て、御池通沿いを西へ進みます。
そうすると、「寺町専門店会商店街」がありますのでそこを左へ曲がり、少し進むと本能寺の総門があります。
京都市役所前駅から本能寺の総門まで徒歩約5分です。
最寄りのバス停から徒歩で行く場合
本能寺の最寄りのバス停は「河原町三条」です。
停車する市バスの系統は「3」「4」「5」「7」「10」「11」「15」「32」「37」「51」「59」「205」「105(土日祝のみ)」です。
京都バスでは「特16」「特17」「17」「63」「65」「66」です。
バス停がある河原町通沿いに本能寺の裏門があります。
バス停から本能寺裏門まで徒歩約1分です。
主要バス停(駅)からの乗車時間は下記の通りです。
- 「京都駅前 (各線「京都」駅)」から
⇒市バス 4 / 5 / 7 / 205 / 105系統:乗車時間約16分
⇒京都バス 17 / 特17系統:乗車時間約18分 - 「出町柳駅前 (京阪本線・叡山電鉄「出町柳駅」駅)」から
⇒市バス 3 / 4 / 7系統:乗車時間約11分
⇒京都バス 特16 / 17 / 特17系統:乗車時間約12分 - 「四条大宮 (阪急「大宮」駅 / 京福「四条大宮」駅)」から
⇒市バス 3 / 11 / 32系統:乗車時間約13分 - 「北大路バスターミナル (地下鉄烏丸線「北大路」駅)」から
⇒市バス 37 / 205系統:乗車時間約20分 - 「北野白梅町 (嵐電「北野白梅町」駅)」から
⇒市バス10 / 15 / 51 / 205系統:乗車時間約25分 - 「嵐山 (嵐電「嵐山」駅)」から
⇒市バス 11系統:乗車時間約65分
⇒京都バス 63 / 65系統:乗車時間約45分

乗車時間は目安です。交通状況等により大幅に変わることがありますのでご了承ください。
拝観時間 | 【境内】 6:00~17:00 【大寶殿】 9:00~17:00 ※入館は16:30まで |
拝観料 | 【境内】 無料 【大寶殿】 一般:700円 高校生・中学生:500円 小学生:300円 修学旅行生:300円 身体障害者:300円 ホテル本能寺利用者:500円 ※団体割引あり(30名以上) |
所在地 | 京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522 |
TEL | 075-231-5335 |
ホームページ | https://www.kyoto-honnouji.jp/index.html |
その他 | 駐車場無し |
ちょっとそこまで
Neighborhood
本能寺の周辺にある観光スポットやおすすめのスポットをご紹介します。

お時間があればぜひ一緒に行ってみてください
行願寺(革堂)

本能寺から北に徒歩10分ほどのところにあります。寛弘元年(1004年)に行円(ぎょうえん)上人により創建されました。行円上人は鹿の革で作られた衣を着ていたために革上人と呼ばれていたことから、「革堂(こうどう)」とも呼ばれています。
頂法寺(六角堂)

本能寺から南西に徒歩13分ほどのところにあります。お堂の形が六角形になっているので「六角堂」とも呼ばれています。聖徳太子が自身の念持仏を安置したのが起こりとされています。華道・池坊の発祥の地で、代々池坊家の家元がこちらの住職になっています。
本能寺周辺地図

以上、本能寺についてでした!
こちらのページが拝観のご参考になりましたら幸いです^^
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「本能寺の変」の後、信長の葬儀は大徳寺で執り行われ、境内に信長の菩提を弔う総見院(塔頭)が建立されました。その他にも多数の塔頭があります(ただしほとんどが非公開)。
「本能寺の変」の後、明智光秀は妙心寺塔頭の僧侶で叔父の密宗(みっそう)和尚を訪ねたと言われています。境内には密宗和尚が建立した「明智風呂」という建物があります。